この寺田屋の信憑性がイマイチ分からなかったので、本文は何も書かなかったのですがwikiってみましーた。
現存の寺田屋と当時の建物との同一性
現在寺田屋を称する建物(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった。2008年になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した。
立て看板には、いかにも本物っぽい説明がされていたのだが…('A`)本物と言うからニセモノと言われるのであって、再建した、と言えば良いと思うのだが。